06
私が担当しているのは住吉エリア。
昔、日本一の富豪村と言われた住吉村のあったところだよ。今の住吉山手や住吉本町だけじゃなくて、海の方から六甲山の方まで、南北に長い村だったんだ。
だから、まやっちの住んでいる渦森台も、昔の住吉村の範囲に入るね。 まあ、私はあっちの方にはあまり行かないんだけど。
え? 何をしに渦森台に行ったか?
本住吉神社の奥宮を見にだよ。まやっちは住んでいるから知ってるか。 じゃあ、本住吉神社の成り立ちは知っているかい?
ふふ。その顔は知らないね。 よろしい。先輩が説明してあげよう。
本住吉神社は、神功皇后が住吉の神様をお祀りしたのが始まりだと伝えられているんだ。住吉の神様は、船が安全に海を行き来できるように守ってくれる神様なんだよ。
住吉って聞くと、大阪の住吉大社を思い浮かべる人も多いよね。 でも、こっちの名前は「本住吉」。
この「本」は何なのか。大阪の住吉大社の、もとになった神社という意味だとする説明があるんだ。しかも、本住吉という名前は一二三三年の文書にも出てくる。
もちろん、昔からそう呼ばれていたことと、伝わっている由緒が全部そのまま事実だったかは、別の話だけどね。 ここをごちゃ混ぜにすると、香取先生の赤ペンが飛んでくるから。
でも、ちょっと面白くない? 駅の近くにある、いつもの神社だよ。その名前一つにも、そんな話がくっついているわけだ。
そして住吉は、最初から豪邸ばかりの村だったわけじゃない。
住吉川には、昔、たくさんの水車があったんだ。水の流れで大きな車を回して、その力でお米をついたり、油を搾ったりする。人が一日中やったらへとへとになる仕事を、川に手伝ってもらっていたんだね。
それから、山では石が採れた。御影石って聞いたことがあるでしょ? 住吉川の流域で採れた石も、隣の御影の港から運び出されていたんだって。山も川も、村の人たちの仕事場だったわけだ。
今の地図だけ見ていると、川は散歩するところで、山は景色のいいところに見えるかもしれない。でも、昔の人にはもっと切実な、生活に必要な場所だったんだろうね。
そんな村が、明治になると変わり始める。
鉄道が通って、大阪や神戸へ行き来しやすくなる。すると、都会で仕事をして、住むのは少し離れた場所にしようという人たちがやってくる。
ここまでは、普通の住宅地の話に聞こえるでしょ?
問題は、やってきた人たちの顔ぶれなんだよ。
07
この辺りの邸宅地の発展を調べると、まず名前が出てくる一人が、朝日新聞の創業者の一人、村山龍平。明治三十三年、一九〇〇年に、隣の御影町郡家に住まいを構えている。
おっと、そこはほっしーの担当エリアだったね。 まあ、昔のお金持ちも、私たちの担当の境目を気にして住んでいたわけじゃないから。
住吉村の方には、住友銀行の初代支配人だった田辺貞吉。それから、野村證券につながる事業を築いた野村徳七など、経済界の大物が移り住んでくる。
新聞、銀行、証券、保険、紡績。 会社の名前なら、私たちでも聞いたことがあるようなところばかりだよ。
つまり、大きな会社が近所にできた、という話じゃないんだ。 その会社を動かしている人たちが、ご近所さんになったんだよ。
どれくらいお金持ちだったのか、数字もある。
一九三二年の、一世帯当たりの国税と地方税を合わせた金額。 兵庫県の平均は、八十七円五十六銭。
それに対して、住吉村は千六十九円五十四銭。
約十二倍だよ、十二倍。
もちろん、村の人が全員、同じように大金持ちだったという意味じゃない。ものすごく多く納める人がいるから、平均がぐんと上がる。それでも、一つの村でこの数字になるんだから、どれだけ富が集まっていたか分かるよね。
しかも、この人たちは、大きな家を建てるだけでは終わらなかった。
阿部元太郎と田辺貞吉は、観音林や反高林という辺りの山林を村から借りて、住宅地の開発を進めた。水まわりを整え、人が暮らせる土地にしていく。
子供の教育にも力を入れて、平生釟三郎たちが甲南の幼稚園や小学校の設立に関わった。
さらに、住民同士が交流する観音林倶楽部という場所もできる。 ここで町のことを話し合い、今のコープこうべにつながる灘購買組合の設立にもつながっていったんだ。
いい学校が欲しい。買い物を便利にしたい。 そう思ったときに、自分たちでつくろう、と動ける人たちがいたわけだ。
ご近所付き合いの規模がおかしいんだよ、この村。
ところが、一九三八年の阪神大水害で、その村を濁流が襲う。
山から流れてきたのは、水だけじゃない。土砂も、大きな岩も、木も一緒だった。 住吉川沿いでは家屋が土石に埋まり、阪急の線路には三メートル近くも土砂が積もったところがある。
三メートルだよ。 この部室の中に土砂が流れ込んだところを想像してみて。机の上に避難すれば大丈夫、なんて高さじゃない。
その後には戦争と空襲もあって、町の姿は大きく変わっていく。 そして一九五〇年、住吉村は神戸市に編入されたんだ。
ただ、村の財産まで全部なくなったわけじゃない。
住吉学園という名前を聞いたことはあるかな? 昔は学校を運営していたんだけど、今は、旧住吉村から受け継いだ財産をもとに、教育や文化、福祉などの地域活動を支えている財団なんだ。奨学金を出したり、地域の団体を助成したりね。
村はなくなった。でも、村が持っていた財産は、今も町で暮らす人たちの役に立っている。
どう? 昔の豪邸を見て「お金持ちってすごいですね」で済ませるには、もったいない話でしょ?
でも、私が気になったのは、もう少し前のことなんだ。
そんな大事な家を建てる場所に、どうして、この土地を選んだんだろうね?
08
もう一度、地図を見てみようか。
東に住吉川、西に石屋川。その間に住吉や御影の町がある。 北には六甲山があって、南へ下っていくと海に出る。
この辺りには、山から川が運んできた土砂が積もってできた、扇状地が広がっているんだ。
六甲山の大部分は花崗岩でできている。 御影石も花崗岩だね。硬そうに見えるけど、長い時間をかけて風化すると、粒に分かれて、砂のように崩れていくんだよ。
それを雨や川が、山の下へ運んでくる。 少しずつ運ばれることもあれば、大雨のときに大量に流れ出すこともある。そうして、山のふもとに土や石が積み重なっていく。
つまり、この扇状地の上では、今、家や道路がある地面そのものが、川の運んできたものでできているわけだ。
しかも、この地域の水害は、さっき話した昭和の大水害が最初じゃない。
本住吉神社の周りに広がる住吉宮町遺跡では、洪水で積もった砂の層が何層も見つかっている。古墳まで、洪水の土砂に埋まっていたんだって。
それから、観音林の辺りには、昔、慈明寺というお寺があったとされている。
さっき出てきた観音林だよ。 富豪たちの住宅地として開発された、あの辺り。
そのお寺は、一五〇四年の洪水で流されてしまったという伝承がある。「慈明寺流れ」と呼ばれていて、神戸市の歴史資料でも紹介されているんだ。
大昔に一度だけ、たまたま川があふれた場所じゃない。 繰り返し水害を受けてきた土地に、後から豪邸が並んだんだよ。
もちろん、大阪にも神戸にも行きやすいとか、景色がいいとか、住みたいと思う理由はある。川の水だって、水車を回したり、暮らしを支えたりしてきたわけだしね。
それでも、私は少し引っかかった。
昔から住んでいる人なら、家も仕事もあるから、簡単には離れられないかもしれない。 でも、新しく豪邸を建てるお金持ちなら、ほかの土地を選ぶこともできたはずでしょ?
なのに、わざわざここへ来た。
当時の人が、水害の危険をどこまで知っていたのかは、一人ずつ調べないと分からない。 ただ、もし、その危険を知ってもなお、ここを選ぶ理由があったとしたら?
そこを考えているうちに、私は、川が運んできたものの中身が気になったんだ。
御影石には、石英が含まれている。 そして、きれいな結晶に育った石英の一つが、水晶だよ。
岩が崩れて砂になっても、その中の石英が消えてなくなるわけじゃない。
山から川を下ってきた土砂。 何度も積もって、町の地面になった砂や小石。
そこに、水晶につながる鉱物も混じっている。
……ほっしー。 そろそろ、私が何を考えたか分かってきたんじゃない?
09
ここから先は、私の仮説だよ。
水晶って、お守りやパワーストーンとして扱われることがあるでしょ? その力が本当にあるかは別として、大事に持っている人はいる。
ある大手家電メーカーの社長が、自宅に大きな水晶玉を飾っていた、なんて話もあるんだ。 まあ、これは私も実物を見たわけじゃないから、そういう噂がある、という程度だけどね。
お金持ちの収集趣味だったのかもしれない。 きれいな石を眺めるのが好きだっただけかもしれない。
でも、もし、飾り以外の目的があったとしたら?
水晶を一個、家に置く人。 水晶の粒が集まった土地に、家を建てる人。
求めていたものが同じだったら、面白くない?
もちろん、石英が混じった砂があるから、そこが全部特別な土地になる、なんてことは言わないよ。 石英自体は、珍しい鉱物じゃないからね。
ただ、集まり方とか、地形とか、何か別の条件が重なったときに、その土地に独特の力が生まれるとしたら?
住吉は、そういう場所だったんじゃないか。 いわば、水晶の堆積地がつくった、巨大なパワースポットだったんじゃないかと、私は考えているわけだ。
そうするとね、さっきの水害の話が、別の意味を持ってくる。
水害を起こす川が、山から石を運んできた。 人が暮らすには危険な働きが、長い年月をかけて、土地に何かを蓄えていたのかもしれない。
危険がないから選ばれたんじゃない。 危険があっても、ここにあるものが欲しかった。
そう考えたら、「景色がいいから」だけでは片づかなかった部分が、ちょっとつながる気がしない?
そして、そのことを最初に知っていた誰かがいる。
ここが大事なんだよ、まやっち。
富豪たちが全員、土地の力を調べて引っ越してきたとは限らない。 本人は、便利な場所を紹介されたと思っていただけかもしれないし、知り合いの近くに住むつもりだったのかもしれない。
でも、紹介した側が知っていたら?
この場所で、その人の事業がもっと大きくなることを期待していたら?
土地を用意する。家を建ててもらう。人を紹介する。 その人が成功すれば、次の人にも勧めやすくなる。
「この町に来てから、商売がうまくいくようになった」
もし、そんなふうに話す人が一人、二人と増えたら、興味を持つ人は出てくるだろうね。 わざわざ大声で宣伝しなくても、知り合いを通じて人が集まる。
そうやって、お金と人脈が、少しずつ同じ場所に集められていったんじゃないか。
……そう。黒幕の登場だよ。
ただの土地の紹介屋じゃない。 どこに、誰を住まわせるかを考えて、町の後ろから糸を引いていた存在だ。
銀行を動かせる人。工場を持っている人。新聞を出している人。 そういう人たちに、もっと大きな力を持ってもらう。
そして、いざというときには、協力してもらう。
何に協力してもらうのかって?
そこは、まだ分からないんだよね。 国家を動かしたかったのかもしれないし、普通ならお金の集まらない研究をしたかったのかもしれない。
だから、住吉学園や観音林倶楽部が怪しいと言っているんじゃないよ。 地域のためにやってきたことは、それ自体で立派なことだ。
私が知りたいのは、その表に見える人のつながりを、別の目的で利用しようとした誰かが、いなかったかということ。
水晶の力が本当にあったのか。 それを知って、人を集めた者がいたのか。 その者は、富豪たちに何をしてもらいたかったのか。
ただ、今のところ、水晶の力と富豪たちの移住を結び付ける証拠は見つかっていない。
でも、今の住宅街を歩いているだけじゃ、こんなこと、考えないでしょ?
水害の歴史がある扇状地。 そこへ移り住んだ、そうそうたる富豪たち。 そして、その足元に、川が長い時間をかけて運び込んだもの。
私は、この三つが、どこかでつながっているんじゃないかと思ってるんだよ。
10
話し終えた凛音は、満足そうに腕を組んだ。
「どうだい。なかなか調べがいのある話だろう?」 「水害の話は知りませんでした」
摩耶は、ノートパソコンの地図を見たまま答えた。 知っている町の名前が並ぶ画面からは、お寺や家が流されるような川の姿は想像しにくかった。
「今の住吉川を見ていると、散歩するところって感じですもんね」 「そうなんだよ。だから昔の写真を見ると、びっくりするんだ」 「一度、見てみたいです」 「もちろん。後で見せてあげよう」
凛音は嬉しそうに頷いた。
「土地の成り立ちと、そこへ人が集まった理由を一緒に考えるのは、面白いですね」
星が口を開く。
「ただ、水晶の力を期待して移り住んだということを確かめるには、別の資料も必要そうですが」 「そこは、今後の調査に期待してくれたまえ!」 「やっぱり、まだないんですね……」
摩耶がつぶやくと、凛音は悪びれずに笑った。
「全部分かっていたら、調べる楽しみがないじゃないか」 「凛音ちゃん。その楽しみを、調査記録にも残してくれると嬉しいんだけどな」
有楽の一言で、凛音の笑顔が止まる。
「……今、その話に戻ります?」 「うん。調べて分かったことと、凛音ちゃんが考えたことを分けて書けば、今日の話も立派な記録になるよ」 「喋ったやつが、そのまま文章になってくれればいいんですけどねえ」
凛音は、わざとらしく天井を見上げた。
「史料の整理なら、僕もお手伝いできます」 「ほっしー! やはり君は頼りになる後輩だ!」 「先輩の仮説の部分は、ご自身でお願いしますね」 「そこまで言わなくてもいいじゃないか……」
摩耶は小さく笑った。 凛音もすぐに笑い直し、机の上の地図を指さす。
「よし。まずは実際に歩いてみよう。川と、お屋敷のあった場所と、昔の地図を見比べるの」 「現地調査ですね」 「そう。まやっちも行こうよ」
急に話を向けられ、摩耶は顔を上げた。
「私もですか?」 「もちろん。ほっしーの担当の御影ともつながってるし、三人で歩いたら面白いと思うんだ」 「僕も、ぜひご一緒したいです」
星が答え、摩耶の方を見る。 摩耶は一度視線を落としてから、小さく頷いた。
「私も、行ってみたいです」
黒幕がいるかどうかは、まだ分からない。 水晶で商売がうまくいくという話も、簡単には信じられなかった。
それでも、凛音が地図の上に重ねて見ているものを、自分の目でも見てみたかった。
「じゃあ、ゴールデンウイークに行こう。放課後より、ゆっくり歩けるし」 「詳しい日にちは、それぞれの予定を確認してからだね」
有楽が言い添える。 凛音は勢いよく頷いた。
「了解です! それまでに、ばっちり下調べしておきます!」 「今日の分の調査記録もね」 「有楽先輩、今日は厳しくないですか?」 「いつもと同じだよ」
有楽の柔らかな笑顔に、凛音は観念したようにパソコンへ手を伸ばした。
摩耶は、その画面に残る川の線を目で追った。 山から流れてきて、町を通り、海へ抜けていく。
川が運んできたものの上に、人が家を建てた。 何度も災害に見舞われた土地へ、それでも新しく住もうとした人たちがいた。
彼らが見ていたのは、窓からの景色だけだったのだろうか。
凛音の話を聞く前には思いもしなかった疑問が、摩耶の中に残っていた。