01:
ゴールデンウイークを前にした放課後。
超自然科学部の部室には、部員四人と顧問の香取が揃っていた。今日は予備の椅子も出して、皆で机を囲んでいる。 有楽は進路指導用の冊子を閉じ、机の端へ寄せる。凛音は椅子の背もたれに腕を載せ、向かいに座る一年生二人を眺めていた。
「さて。連休中に活動する予定があれば、確認しておこうか」
香取がホワイトボードへ「GW」と書いた。
「藤森と保科は、何か考えている?」 「はい。五月一日に、鷲林寺へ行く予定です」
摩耶が答えると、凛音が顔を上げた。
「鷲林寺? 何を調べるの?」 「牛女の話です。この間、同じクラスの子が相談に来て」 「なるほど。調査依頼ってことか」
凛音が面白そうに身を乗り出す。
「依頼というほどではないんですが……坂本さんが、友達を連れてきたんです」 「日向子ちゃんね。最初の見学に付き添ってくれた」
有楽の言葉に、摩耶はうなずいた。
「はい。友達は、茶畑杏奈さんといいます。家の近くで、牛の顔をした人影を見たそうで」 「それが鷲林寺だったのかい?」
香取が訊くと、星が説明を補った。
「目撃したのは弓弦羽神社です。その数日前に鷲林寺の弁天池へ行き、牛女の伝説を聞いていたそうです」 「別の場所で見たんだ」 「はい。それで、鷲林寺からついてきたのではないかと心配していて」
摩耶は、茶畑から聞いた話を順に伝えた。
弁天池で猫を追いかけ、知らずに祠の周りを回ってしまったこと。 そのあとで三周すると牛女が出るという噂を聞いたものの、実際には何も起こらなかったこと。 数日後、弓弦羽神社で牛に似た顔を見て、二つの出来事を結び付けて考えていること。
「牛女が引っ越したという看板の話も聞いていたそうです。ただ、それは肝試しに来る人への対策だったと、本人も説明を受けています」
星が付け加えると、凛音は顎に手を当てた。
「なるほど。事情は知ってても、いざ自分が見ちゃうと、引っ越し先はここだったのかって考えちゃうわけだ」 「そうみたいです。でも、鷲林寺から来たと決まったわけではないので。まずは伝説のある鷲林寺を、一緒に確かめようという話になりました」
摩耶が言うと、有楽は穏やかにうなずいた。
「それで鷲林寺に行くんだね。茶畑さんも一緒に?」 「はい。自分でも確かめたいと言っていました。坂本さんも来ます」 「日向子ちゃん、バスケ部の予定は大丈夫なの?」 「その日は空いているそうです。昼間に行って、暗くなる前に帰る予定です」
有楽は香取からペンを受け取り、「五月一日・鷲林寺」と書き加え、その下へ四人の名前を並べた。
「私はその日は行けないんだけど、凛音ちゃんは?」 「私も都合が悪いですね。今回は一年生に任せましょう」 「立ち入れない場所には入らないこと。お寺や神社の人に迷惑をかけないようにね」
香取の言葉に、摩耶と星は返事をした。
「それから、住吉山手はいつにしようか」
有楽がホワイトボードの空いたところを見る。
「凛音ちゃんと摩耶ちゃんと星君で、連休中に行こうって話していたよね」 「その件なんですが、すみません」
星が少し申し訳なさそうに口を開いた。
「五月一日以外は、家族や親戚の用事が重なってしまって。三人で現地を回れる日が取れそうにないんです」 「あら。そうだったんだ」 「資料の整理は進められますが……」 「じゃあ、住吉山手は連休明けにしよう」
凛音は少し考えてから、そう言った。
「急いで回っても、見たいところを見られないしね。三人で行ける日にしようよ」 「ありがとうございます」 「その分、ほっしーの下調べには期待してるから」 「先輩の調査記録も見せていただけると助かります」 「……そこは、連休中に何とかしよう」
凛音が視線を逸らすと、有楽が笑った。
「じゃあ、お互いに準備を進めておくということで」
ホワイトボードに「住吉山手――連休明け」と書き加えられる。 摩耶も手元の予定を確かめ、住吉山手の調査が延期になったことを書き留めた。
02:
「僕はそろそろ職員室へ戻るよ。活動の計画がまとまったら、また見せてね」
香取が腕時計を見て、席を立った。
有楽も時計を確かめ、手元の冊子を鞄へ入れる。
「私も、このあと進路指導があるから行くね」
そう言って、部員たちへ顔を向けた。
「何か決まったら、また教えてね」 「はーい。いってらっしゃい!」
凛音の返事を聞きながら、香取と有楽が部室を出ていく。
扉が閉まると、凛音は椅子に座り直した。
「さて。住吉山手は少し先になったし、まやっちの研究の話もしようか」 「私のですか?」 「ワープの方。最近は何を調べてるの?」
摩耶は、開いていたノートを数ページ戻した。
「体験談を見直したり、似たような話をまとめたりしています。ただ、場所や時間がはっきりしないものも多くて」 「気がついたら知らない場所にいた、っていうやつだね」 「はい。あと、別のところで同じ話が紹介されていても、細かいところが違ったり」 「伝言ゲームになってるわけか」 「元の話までたどれればいいんですけど」
摩耶はノートの一行を指で押さえた。
「本人に聞ければ、確かめられることもあると思うんです。どこまで覚えているのかとか、どうしてそこがおかしいと思ったのかとか」 「それでしたら」
星が顔を上げた。
「友人から、似たような体験を聞いたことがあります」 「え?」
摩耶だけでなく、凛音も星を見た。
「どんな話?」 「六甲山を歩いていたとき、歩いた距離では説明のつかない場所へ出たそうです。本人も、ワープでもしたのかと思ったと言っていました」 「ほっしー、それは詳しく聞きたいな!」
凛音の声が弾む。 摩耶も思わずノートから手を離した。
「その友達が、実際に体験したの?」 「はい。前にお話しした、和泉秀です」 「あ……私と同じクラスの」 「そうです」
摩耶は星から聞いた名前を思い出した。 良い奴なので仲良くしてほしいと、穏やかな声で言っていた。
「まやっちのクラスメイトなの?」 「はい。一年三組です」 「そんな近くに体験者がいるとは。ぜひ、ご本人から聞きたいところだね」
凛音が摩耶を見る。
「まやっちも聞いてみたいでしょ?」 「はい。話してもらえるなら……」 「では、秀に訊いてみますね」
星がスマホを取り出した。
「今はサッカー部の練習中なので、返事はあとになると思いますが」 「急がなくていいよ。本人の都合がいいときに」 「今日の練習後に時間があるか、合わせて訊いておきます」
星は短く文章を打ち、送信した。
摩耶は、その手元を見ていた。 ネットの向こうの知らない誰かではなく、同じ学校の生徒から話を聞けるかもしれない。
そう考えると、六甲山というよく知る名前が、いつもとは少し違って感じられた。
「星は、その話をいつ聞いたの?」 「以前、遊んでいたときです。ただ、そのときは短く聞いただけで。僕も詳しい経緯までは知りません」 「じゃあ、詳しく聞けることになったら、ほっしーも聞き手だね」
凛音は棚から地図を持ってきた。
三人は地図を広げ、ほかに似たような話がないか、手元の資料やスマホを見ながら過ごした。 ときどき凛音が気になる記事を読み上げ、摩耶がのぞき込む。星も資料を片付けながら、その会話に加わった。
しばらくして、星のスマホが震えた。
「練習が終わったそうです。今からでもよければ、来てくれるそうですよ」 「もちろん!」 「私も大丈夫です」
二人の返事を聞き、星は立ち上がった。
「では、迎えに行ってきます」
星が部室を出ると、摩耶はノートを新しいページへめくった。
03:
「お待たせしました」
星が扉を開けた。その後ろに、スポーツバッグを肩に掛けた男子生徒が立っている。
「お邪魔しまーす」
明るい声に、摩耶は顔を上げた。 教室で見覚えのある男子だった。友人たちと楽しそうに話している姿は知っていたが、入学してから直接会話をしたことはなかった。
「彼が和泉秀です」 「一年三組の和泉秀です。よろしくお願いします」 「練習終わりにありがとう! 私が二年の播摩凛音。超自然科学部へようこそ!」
凛音は空いている椅子を引いた。
「よろしくお願いします、播摩先輩」 「こちらこそ。さあ、座って座って」
秀はバッグを下ろしてから、摩耶へ目を向けた。
「同じクラスだよな。藤森」 「はい。藤森摩耶です。よろしくお願いします」
摩耶は小さく頭を下げた。 顔を上げても、視線は秀の手元の辺りで止まってしまう。
「そんなにかしこまらなくていいって。同じクラスなんだし、敬語じゃなくていいよ」
秀は笑って言った。摩耶は少し迷ってから、うなずく。
「あ……うん。よろしく」 「おう」
秀はそれ以上気にした様子もなく、椅子へ座った。
「星から、昔の山の話を聞きたいって言われて。大した話じゃないかもしれないけど」 「ううん。その……聞かせてもらえたら、うれしい」 「分かった。覚えてるところだけになるけどな」
星も秀の隣へ座る。 凛音は二人を見比べてから、嬉しそうに口を開いた。
「では、いずみん。今日はよろしく頼むよ」 「いずみん?」
秀が自分を指差した。
「俺ですか?」 「もちろん」 「もうあだ名ついたんですね」
凛音が声を上げて笑った。
「気に入ってくれたようで何より」 「そういう返事ではなかったと思いますけど」
星が指摘するが、秀は笑いながら手を振った。
「まあ、何でもいいですよ」 「いいねえ。ノリのいい後輩は歓迎だよ!」
初対面の二人の会話は、少しも途切れなかった。 摩耶はそのやり取りを聞きながら、椅子に座り直した。
口調を変えたからといって、すぐに気軽に話せるわけではない。それでも、凛音と秀が会話を進めてくれるので、自分も何か話さなければと焦らずに済んだ。
「ここ、いろんなものがありますね」
秀が壁際の棚を眺める。 地域資料の隣には水晶玉、その上にはラケットが載っていた。
「何をする部活なのか、棚だけ見ても分からないな」 「何でも調べる部活だからね」 「そのラケットも調査に使うんですか?」 「それは前に使っていた部の備品です」
星の説明に、秀は納得したようにうなずいた。
「なるほど。ラケットで幽霊と戦うのかと思った」 「その使い方は、まだ試してないねえ」 「試さなくていいと思います」
摩耶は思わず小さく笑った。
04:
「二人は、いつからの知り合いなの?」
凛音が訊くと、秀は星へ目を向けた。
「小学校に入る前からですね。家が近いんで」 「知り合ったときのことは、僕もあまり覚えていません」 「気づいたら一緒に遊んでた感じですね」 「じゃあ、かなり長い付き合いなんだ」
凛音の言葉に、秀はうなずいた。
「星は、小さい頃からこんな話し方なんですよ」 「こんな、とは何ですか」 「丁寧ってことだよ。俺が『これやろうぜ』って言ったら、『いいですよ』って返ってくるんで」 「今も同じですね」 「そう。全然変わってない」
凛音が面白そうに星を見る。
「小さいほっしーが、そんなふうに話してたのか」 「別に、変なことではないと思いますが」 「いや、想像したら可愛くてさ」
星は困ったように笑った。
その口調については、摩耶も先日聞いていた。家族にも敬語を使うという星が、幼い頃から秀の誘いに「いいですよ」と答えているところを想像すると、少しおかしかった。
「秀も、あまり変わっていません」 「そうか?」 「面白そうだと思うと、とりあえずやってみたがるところとか」 「面白そうなんだから、やった方がいいだろ」 「片付けることまでは考えていませんでしたね」 「その辺は、星が考えてくれるから」
凛音が笑う。
「役割分担ができてるじゃないか」 「できていると言っていいのか、分かりませんけど」
そう答えた星も、口元は緩んでいた。
「ほっしーは、昔から都市伝説も好きだったの?」 「そうですね。そういう話を調べるのは好きでした」 「こいつ、いろんなこと知ってるんですよ」
秀が続ける。
「俺が知らない話ばっかりで。聞いてると面白いんですよね」 「秀が続きを聞きたがるので、調べたものもあります」 「途中まで聞いたら、その先が気になるだろ」 「どの話でも、そう言うじゃないですか」 「面白いんだから、しょうがないだろ」
秀は当たり前のことのように言った。 星は少し黙り、それから穏やかに笑った。
「……そういうところは、本当に変わりませんね」 「褒めてる?」 「はい」 「よし。今日は素直に受け取っとく」
摩耶は二人のやり取りを聞いていた。 秀は遠慮なく話し、星も遠慮なく指摘する。それでいて、二人とも楽しそうだった。
「いずみんもオカルトは好きなんだね」 「好きですよ。知らないことを聞くのは面白いですし」 「なら、うちの活動も楽しめそうだけどなあ」 「でも、調べるのはちょっと面倒そうなんで」
秀は机の上の資料を見比べた。
「俺は、面白いところを聞く係で」 「一番おいしいところだけ持っていく気だね」 「その代わり、今日は話す係もやりますよ」
凛音は「それならよし」とうなずいた。
星が秀の方へ椅子を向ける。
「今日は僕も、詳しく聞かせてもらいますからね」 「分かったって。そんなに構えるなよ」 「前は、途中で別の話になってしまいましたから」 「あー……そうだったかも」
秀は頭をかいた。 凛音は楽しそうに、伏せたスマホを机の端へ寄せた。
05:
「じゃあ、今日はちゃんと最後まで話すか」
秀が言うと、凛音は待ってましたとばかりに身を乗り出した。
「よろしく頼むよ、いずみん」 「そんなに期待されると、ちょっと困るんですけどね」 「期待はするよ。六甲山でワープしたなんて聞いたらさ」 「俺も、そのときからワープだと思ってたわけじゃないんですよ」
秀は少し苦笑した。
「子供だったんで、何がおかしいのか、すぐには分かってなくて」 「あとから、不思議なことだったと気づいたんですね」 「そう。親父と二人で登ったときの話なんだけど」
摩耶はノートを手元へ寄せた。 訊きたいことはいくつもあるが、まずは話を聞こうと思った。
その様子に気づいた秀が、こちらへ目を向ける。
「藤森も、何か気になったら訊いてくれよ。分かることなら答えるから」 「あ……うん。ありがとう」
摩耶は小さくうなずいてから、口を開いた。
「子供の頃って、何歳くらい?」 「まだ小学校に入ってなかったから、五歳くらいかな」 「そんな小さい頃に、歩いて登ったんだ」 「うん。帰りはケーブルカーで下りるつもりで」
摩耶は、脇に広げられていた地図へ目を落とした。
「私も遠足で行ったことあるけど、下から全部歩いたわけじゃなかったな」 「途中まで乗り物で上がると、ずいぶん違いますからね」
星がうなずくと、凛音も会話に加わった。
「六甲山って、山の上にも遊ぶところがあるからねえ。あの辺りで一日過ごすだけでも、山に行ってきた感じはするし」 「そうなんですよ。俺も、最初はそんなつもりだったんだと思います」
秀は地図に目を向けた。 紙の上には、車道とは別に、いくつもの細い登山道が延びていた。
「いつも見えてる山ですし、親父も一緒だったんで。そんなに大変だとは思ってなかったんですよね」